胸の中を駆け巡った、ロマンスの中で

こんにちは、ぎぬまです。

壁ってなんかこう……

良いですよね……

立体的な壁面や、何かを線引きする見えないアイテムみたいな要素を持ってたり。

ラブライブ!シリーズでいえば、壊すものと言われたりクイッとされることに興奮するコンテンツにされてたりと……

虹ヶ咲のTVアニメ1期4話ではソロ活動をはじめることへの高いハードルとしても表現されてました。

 

さて、先日A・ZU・NA 1stライブが開催されました。

直前で、国からの声出し解禁が発表されたこともありSNSでは大盛り上がり、私自身もライブへの心持ちが更に大きなものになりました。

そんなライブを終え、たくさんの曲を受け取った中で特に大好きになったのが

『ロマンスの中で』です。

今までピンと来てなかった楽曲にときめいたは何故なのか?私なりに好きになった理由を少し考えてみました。

最後まで見ていただけると嬉しいです🙌

 

 


・ロマンスってなに?


そもそもロマンスってなんだろう?オタ芸の一部か?という知識だったので調べてみたら、ロマンやロマンチックと意味が違うことに驚きました。(近い言葉なのでほぼ同じ意味だと思ってました……笑)


3単語の意味を並べてみます。


○ ロマンス

「ロマンス」は「男女間の愛情に関する話」や「そのような出来事・事件」「現実にはめったにないような冒険的な物語・伝奇小説のこと」を意味しており、特に「中世ヨーロッパの恋愛・武勇などを扱った物語」を言っているのです。


○ロマン

「ロマン」とは「理想的・感情的に物事を捉えることで夢などに強烈な憧れと理想を持つこと」

また、「後半の理想的に物事を捉えること」、あるいは「夢や冒険に強い憧れを持つこと」


○ロマンチック

「ロマンチック」とは「現実の平凡さや冷たさを離れて甘美で空想的・情緒的・情熱的であるさま」「浪漫的」

 


ロマンとロマンチックは心情的な意味、ロマンスは恋愛的な空想や物語のことを指してるみたいです。(ロマンス小説に憧れを抱く心情がロマンチックみたいなニュアンスでしょうか?)

そう考えると、『ロマンスの中で』は「空想の中で何を感じてるのか」みたいな楽曲に感じますね。

楽曲としては"ロマンス"よりも"中で"のほうに焦点が当たっているように感じます。


・空想世界へ行きたいね


ここからは、楽曲の中身に入っていきたいとおもいます。

私が『ロマンスの中で』持った印象は、「空想へのというものでした。

ラブソングです、ドキドキしますね。

恋と言っても『Love Triangle』とか『Sweet Eyes』のように特定の人物に大好きと伝えたり、ハラハラドキドキしちゃうよ〜、みたいなものとはちょっと違います。

f:id:NEXT_Ginuma:20230219180137j:image

 

届かない世界だからこそ入り込めたらな…みたいに妄想したり世界に浸ったりするような自己完結してそうな恋です。どこかしずくちゃんを思わせるような楽曲ですが、今は私たちの世界との関係について深堀していきます。しずくちゃんの話題は後で触れます)


届かない世界と書いたように、空想世界って私たちの生きている場所とは切り離されたものです。今の技術だと二次元と三次元という、絶対に超えられない壁が存在しています。

この壁って、私たちが見ているラブライブ!シリーズでは、聖地だったり、隣にいるメンバーと一緒に青春を駆け抜けたりとあまり実感は無いと思います。特に虹ヶ咲だと自分が「あなた」であり、メンバーが語りかけてくれるので、より実感が無いものだと思います。

実感が無くても、冷めた目線で見れば、彼女達も彼女達の生きる世界も創作物だというのは事実だと思います。

そんな果てしなく遠い存在に「会いたい」って思うのは素敵じゃないですか?

 

わたしが主人公だったら

景色の向こう側 一緒に歩いてみたいな


私だったらこの人のことをもっと幸せにできるのにな…なんて。

こんな妄想をしちゃうくらい大好きで、近くにいたいって思うのって素敵じゃないですか?

f:id:NEXT_Ginuma:20230219180124p:image

 


「会いたい」って人間の恋愛的欲求の最大値だと私は思います。

恋人、尊敬する先輩、憧れの人だけじゃなく、創作物のキャラクターや作品だって対象になると思うんです。

この『ロマンスの中で』は現実では出会えないからこそ少し儚い、けれど、感情が溢れるほどに惹かれてしまっている。私のそんな心情に寄り添ってくれているみたいに感じています。

 


でも寄り添ってくれると書いたとはいえ、歌っているのはA・ZU・NAの3人ですから。

逆というか本来の意味で考えれば、彼女達も私たちと同じことを思っているのでは?ということも考えられますよね。

二次元の世界にいる彼女達から見れば、私たちの生きている三次元もまた空想世界の一つだと思います。

私たちの人生という物語に彼女達も入り込みたいと願っているのかもしれません

私たちが彼女達に恋をするように、彼女達も私たちに恋をしている

 

見上げる 同じ光

どうかもう少しこのままで


どこかの国の人と同じ月を眺めるように、彼女達とも同じ星を眺めているような。

そんな一方向の両片思いな関係が、遠く離れていても、どこか繋がっているような気持ちにさせてくれることが嬉しく感じちゃいます。

f:id:NEXT_Ginuma:20230219180201j:image


・トビラの中にあるのは?

 

『ロマンスの中で』のセンターは?と聞かれたら、多くの方が「桜坂しずく」と答えるのではないでしょうか?私もそう思います。

その理由は、空想が題材であるため桜坂しずくとの親和性が高いからだと思います。

ですが、虹ヶ咲における楽曲のセンターってほぼ明言されておらず、断定するには難しいように感じます。

では、桜坂しずくがセンターだという根拠について【素顔のフォトエッセイシリーズ Rainbow Days 〜桜坂しずく〜 】『ノックの音が聞こえたら』を用いながら考えたいと思います。

f:id:NEXT_Ginuma:20230219182158j:image

簡単に物語の流れを書いていきます。

 

私は小さい頃から、昔の映画や小説が大好きだった。

桜坂しずくは幼い頃から空想が大好きであることは、どの媒体、どの世界においても変わらないと思います。そして、空想が好きなことで周囲から変な子だって思われた過去があることも。

 

仲よくなってもらえないのは……怖かった。

だから私は、"本当の私" を、心の奥にしまったの。カチリと鍵をかけて、閉じ込めた。

桜坂しずくにとって、周りから嫌われることの恐怖は自分の大好きを隠してしまうほどだったと思います。特に幼い子供にとって嫌われることは心に刻まれるほどトラウマになりますよね。


『ノックの音が聞こえたら』では、そんな過去に閉じ込めた空想が好きな自分をさらけ出すことについて、しずくちゃんの胸中表現がされています。


物語の中盤、銀河鉄道の夜から得た着想から絵を描く課題が出たエマちゃんがしずくちゃんに相談する描写があります。

その時のしずくちゃんは『銀河鉄道の夜』の世界に入り込み、空想を膨らませて語っていました。まるで大好きなものを話す子供のように。

ですが、途中で我に返り、話を打ち切ってしまい忘れてほしいと伝えます。

その話を聞いていた、璃奈ちゃんや歩夢ちゃんには「そんな想像力はしずくちゃんにしかないからすごい」と言われます。

そう言われたしずくちゃんの胸の中で「コン、コン。」と胸の内側からノックの音が聞こえました。

空想が大好きな自分を肯定してくれる言葉は、彼女にとって嬉しいことであり、"本当の自分" をさらけ出してもいい、という合図なんだと思います。結局この時は、胸のトビラが開くことはありませんでした。


その日の放課後、帰りの電車の中で、雷雨により停電停車する事故に巻き込まれます。

その車内で雷に怖がる小さな女の子と出会います。

最初は泣かないって強がっていた女の子も、雷が苦手なことを打ち明けてくれて、しずくちゃんは不安を解消できないか考えます。

そんな時に、借りて帰ってきた『銀河鉄道の夜』の空想を女の子と一緒しました。

空想を膨らませているうちに、時間はあっという間に過ぎて停電は直り、電車は動き出しました。

しずくちゃんの大好きな空想が女の子を救うきっかけになったんですね。

女の子と別れた後、かすみちゃんと璃奈ちゃんからメッセージが届いた時「コン、コン。」と再びノックの音が聞こえます。

ずっと怖かったけれど、自分をさらけ出してもいい、そう思ったしずくちゃんはメッセージにこう返します。

 

うん、大丈夫だよ。

停電している間、かわいい女の子と、銀河鉄道に乗っていたから!

そのメッセージを送って、2人から返ってきた言葉を見た瞬間、しずくちゃんの胸のトビラが開きました。

 

その向こうから、幼い頃の私がーー

嬉しそうに顔を出した。


というのが、『ノックの音が聞こえたら』の大まかな内容になります。


『ロマンスの中で』と照らし合わせると、 

【トビラ】という言葉が鍵になっているように感じますね。

 

その部屋のトビラを開ければ

いつだって あなたに会えるから


この歌詞について、最初は作品を見返すことでまた大好きな空想の中に入ることができる、みたいなニュアンスで受け取っていました。

TVアニメ2期 第13話で侑ちゃんが「上手くいかないこともいっぱいあるかもしれないけど。その時は、私たちがいるから。元気が欲しい時は会いに来て。」と言ったように、隣にいてくれる存在がそこにはいると教えてもらったからです。この考えはおそらく間違ってはないと思います。


『ノックの音が聞こえたら』を知った上でこの歌詞を見ると、【トビラ】は胸の中にあることを表しています。

しずくちゃんのトビラから顔を出した、幼い頃のしずくちゃんって「好きなものに惹かれたはじまりのトキメキを表してたのかなと思います。

ずっと胸に秘めてたしずくちゃんの空想が大好きな気持ちはずっと残っていて、抱えながら生きてきました。

好きなことが鍵だよね

胸に手をあて 聞いてみるよ「大好き」を!


幼い頃から惹かれた空想の世界を今もずっと好きだったから、しずくちゃんは幼い自分と出会うことができたと思います。

ね、しずくちゃんがセンターに思えてきませんか?


ですが、これってしずくちゃんにとっては空想であって、私たちも同じようにそれぞれに惹かれたトキメキを持って生きているのではないでしょうか?

ラブライブ!を初めて見た時の衝撃、聖地を訪れた時のワクワク、ライブに行った時の胸の高鳴り。

ときめいた感情をいつまでも忘れなければ、『ロマンスの中で』のような恋心をずっと持てるように思えます。


・ロマンスだけじゃ足りないから

 

個人的に少しだけ浮いてるな〜って思う歌詞があります。

この先うつむいても ここで起きた奇跡を

思い浮かべれば 笑顔になれるよ


空想に入り込んでいる歌詞の中で、この箇所だけ現実味がありませんか?

ラブライブ!において切っても切り離せないのが、ライブだと思います。

二次元と三次元という境界線に2.5次元という隙間があるなら、きっとライブでしょう。

あの空間だけは唯一、彼女たちに会える場所ですから。両片思いの関係が直接出会える場所ですから。

それって織姫と彦星が一日だけ会える七夕に近いなって思ってて、紛れもなく奇跡と呼べる空間です。

そして、今回のA・ZU・NA 1stライブでは3年ぶりに声出しが解禁された場所でもありました。私は直接言葉が届けられる嬉しさと慣れてない恐怖が交ざったような感情になりました。

けれど、虹ヶ咲を数年追いかけてた身としてもどかしい日々を越えたこの瞬間は奇跡と呼ぶに相応しかったと思います。

この特別に思える奇跡も、いつかは当たり前の日常に戻っていくことにも嬉しさと寂しさを感じます。

 

ですが、私たちはこの時間を、この奇跡を、絶対に忘れてはいけないと思います。

アンコールで枯れるまで叫んだ声もまた会いたいと願ったことも受け取った楽しい時間も、全部抱きしめなきゃいけないって思うんです。

どんな未来が来ても。

それが私たちが「あなた」として生まれた役目なのだから。

そう、たとえ幻想であっても

ときめきは 現実なのだから


最後まで読んでいただきありがとうございました!

またいつかお会いしましょう。